白クマとウォッカの国のYuko&Sasha

ペアスケーターの川口悠子選手とアレクサンドル・スミルノフ選手を応援する公認ブログです。

カテゴリ: メディア

川口悠子選手とモスクヴィナコーチのスペシャルインタビューが集英社オレンジ文庫様の公式サイトに掲載されましたので、お知らせします。

タマラ・モスクヴィナ氏&川口選手スペシャルインタビュー
(インタビュアー:長谷川仁美様)

・「ペア」というカテゴリーを知るには
・ペアスケーターとして
・ロシアのフィギュアスケート事情
・『マスカレード・オン・アイス』にまつわること
・読書について


インタビューは昨年秋に行われたものだそうです。ロングインタビューで、大変読み応えがあります。
フィギュアスケートの初心者の方も、コアなファンの方も、楽しめる内容になっています。
是非、ご一読ください。

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モスクヴィナコーチは、1月20日発売の小説「マスカレード・オン・アイス」(集英社オレンジ文庫、著:一原みう様、装画:知子様)の帯と解説を手掛けられたそうです。
日本にお住まいの皆様、お手に取ってみてください。
よろしくお願いいたします。

川口選手のインタビュー記事をご紹介します。

「川口悠子が語るスケート人生(上)」
(青嶋ひろの、朝日新聞社)

川口選手、スミルノフ選手、モスクヴィナコーチは国別選手権に向けて、ペテルブルグを出発されたようです。


3月24日発売の「フィギュアスケートLife」創刊号(扶桑社)に川口選手インタビューが4ページにわたって掲載されています。
スミルノフ選手との関係、GPFからヨーロッパ選手権までの心境、SPのポーズを変えた経緯、川口選手のバルセロナ街歩き写真(GPF)は必見です。

ご紹介が遅くなって申し訳ありません。
長年、川口選手の取材をされているジャーナリストの長谷川仁美さんの本が出版されました。

「ロシア・フィギュアスケートのたのしみ」
著 長谷川仁美  写真 森美和

薄手の本ですが、内容は盛りだくさんで、ロシアのフィギュアスケート史、フィギュアスケート事情、特に日本ではあまり知られていないペア競技に焦点を当て、多くのページが割かれています。
特に川口選手、モスクヴィナコーチのロングインタビューは必読です。

残念ながら、川口&スミルノフ組のソチ五輪出場は叶いませんでしたが、開幕前に、ぜひ、ご一読ください。


読売新聞に不定期連載されている川口選手のエッセイ「プリビエット」、いよいよ最終回となりました。
明日1月31日の読売新聞朝刊に掲載されます。

ソチ五輪はスミルノフ選手の手術後の回復が間に合わず、欠場となりました。
エッセイには五輪を目指した川口選手の努力、思いが詰まっています。
ぜひご一読ください。

よろしくお願いいたします。

バンクーバーでの問題は、ロシアに一度もチャンスがなかったということではない。チャンスはあった。
しかし、1964年のインスブルック五輪での初金メダルは別としても、世界選手権で優勝したことのない、または五輪出場経験のない選手をロシアが五輪に(メダル候補として)送り込むということは今までに
一度たりともなかった。
オリンピックに間に合わせるために(補足:オリンピックに出られるレベルにするのにという意)、
カワグチ&スミルノフ、モスクヴィナコーチには4年が必要だった。モスクヴィナの職歴(これまで教えてきた選手の中)にはきわめて短期間で五輪に備えられた選手たちがいた。カザコワ&ドミトリエフはペアを結成してから長野五輪で金をとるのに4年もかからなかったが、彼らのシチュエーションはユウコ&サーシャとは違っていた。ドミトリエフは既にアルベールビル五輪で金、リレハンメル五輪で銀メダルをとっていた。五輪に関していえば、彼は経験済みだった。カザコワにとって、ドミトリエフは単なるパートナーではなく、ある種コーチの役割も果たしていた。モスクヴィナに匹敵するくらいの。

カワグチ&スミルノフにとってバンクーバー五輪は何もかも初めてだった。五輪でのメダルは現実的ではなかったが、モスクヴィナのこれまでの門下生が果たしてきた、五輪のメダルをとるという課題がこの二人にもかかってきた。
このペアはバンクーバーで金をとれただろうか? ショートプログラム後、3位のカワグチ&スミルノフと
1位の中国ペア(申雪&趙宏博)との点差はわずか2.5であり、実際、金メダルをとれる可能性があるのではないかと思えた。モスクヴィナが取って来た方針(やり方)が最後まで正しかったと思いたかった。
バンクーバー到着までその方針が間違ったことはほとんどなかったのだから。二つのプログラムはより練り上げられ、クリーンになり、カワグチ&スミルノフの成績も急上昇していた。

別の問題はこのペアは綱渡りをしているかのように見えたことだった。ユウコとサーシャは何度もフリープログラムの難度を上げようとし、長い間ペアの試合では稀有な4回転スローを成功させようとしていた。4回転スローは成功することもあり、失敗することもあった。そのエレメンツ(4回転スロー)をユウコはアメリカ人パートナーとトレーニングしていた時から既にやっていた。
しかし、最終的にはスロー4回転の回避を余儀なくされた。その理由の一つは、ユウコの怪我、慢性化した脱臼のせいだった。

1月のタリンでの欧州選手権、ユウコはフリープログラムの演技中に肩を脱臼した。ユウコは瞬時に状況を理解した。激痛に打ち勝ち、自分で肩をはめて治し、何ごともなかったかのように演技を続けた。
アイスダンスの金メダリスト(06、07年世界選手権)、アルベナ・デンコワはその時観客席からこのペアの演技を見ており、私にこう言った。「あんなことができるのは、ロシア人選手だけだと思っていました。
あのように我慢して、自制できる人は他にいませんよ」

逆説的だが、カワグチ&スミルノフのバンクーバーでの失敗の大部分はコーチの責任である。
ショートプログラムの演技後、フリーの演技構成(予定)表でユウコ&サーシャがあの4回転スローをやろうとしていたことがわかった。
「何のために?」、その答えを探すのに、私は丸一日を費やしたが、答えはやはり見つからなかった。
一か八かの賭けに出る? ここ最近の試合では4回転スローを入れてきていなかったのに? モスクヴィナらしくない。モスクヴィナにはいかなるときも冷静な目算があった。ライバルを威嚇するために? これも説得力に欠ける理由だ。それともユウコ&サーシャは練習ではずっと4回転スローの練習をしていて、成功できると確信したからだろうか?

その答えは現在に至るまでわからない。演技後、ユウコ&サーシャが話したことを元に推測するだけだ。二人は実際、4回転スローの準備ができていた。しかし6分間練習の後、モスクヴィナは回避の指示を出した。リスクはおかさない、スローは3回転のままでいくように言ったのだった。

演技前、モスクヴィナはリンクサイドでいつになく長い間、カワグチに何かを説明し、納得させてようとしていた。ユウコは混乱しているようだった。
演技開始までのわずかな時間で、気持ちを立て直すことは、ユウコとサーシャにはできなかった。
スロージャンプの入り、高さ、軌道も力強かった。完全に4回転回れたほどに。
しかし3回転の後、空中のカワグチの体が開き、回転の慣性が消失してしまった。
最初の1分でユウコは完全に動揺していた。そしてそれに続いてパートナーも動揺した。

初五輪の選手にとって、これはまったく普通のことだったのだろうが、二人からメダルを切望する人たちにとっては、滑りは悲惨なことになっていた。ユウコは二度目のスローで転倒し、リンクに手をついたときにまたもや肩を脱臼してしまった。二人は気丈にも最後まで滑り通したが、もはや苦し紛れのスケーティングだった。優勝のチャンスは訪れなかった。

バンクーバー五輪の1年前、モスクヴィナは自分の選手たちのことをこう話していた。
「五輪の開催地にソチが決まったと聞いたとき、「その時までトレーニングをしないといけないのか?」と
思いました。もちろん、カワグチ&スミルノフのことだけでなく、自分のことも入れてですよ。
ユウコとサーシャはソチまでに五輪経験を積むでしょう。そして、肉体的にもまだ枯渇はしないと思っています。二人はやっと創造的に自分たちを表現しはじめたばかりです。まだ4シーズンしか一緒に滑っていないのです。つまり、スポーツにおける高い達成(補足:世界レベルの大会での優勝)はそう遠くないでしょう。同様に二人の心理状態も若々しいままです。これはとても大事なんです。多くの余力を残しています。とりわけ精神面では。肝心なのは、健康であることです」



五輪シーズンが終わってから2週間後、私はモスクヴィナから電子メールを受け取った。その内容は彼女の電話の口調とまったく同じだった。
「ユウコは日本で手術をして、ペテルブルグに戻ってきます。新しいシーズンのトレーニングを始めますよ……」
(了)

バンクーバー五輪の1年前、モスクヴィナと元アイスダンス選手ピーター・チェルニシェフ
(ロシア語読み:ピョートル・チェルヌィショフ。ペテルブルグ出身。ナオミ・ラングとペアを組みアメリカ代表)は共同でサン・サーンスの「白鳥」を振付けた。その振付を気に入ったユウコは、更に1シーズン、
その白鳥を滑ることを決めた。

2010年1月、カワグチ&スミルノフはタリンの欧州選手権で優勝した。
試合の最後に「サク・アリーナ」(タリンのリンク名)に登場したのは2度の世界選手権覇者、
ドイツのサフチェンコ&ゾルコヴィーだった。
私は観客席で、ロシアの有名なコーチ、ヴィクトル・クドリャフツェフ(ブッテルスカヤ、クリムキン等の元コーチ)のそばに座っていた。クドリャフツェフのことをモスクヴィンは、技術を教えるのがうまい世界有数のコーチと評されていると話していた。モスクヴィンはまた、「クドリャフツェフの元を去っていった門下生も多いけれど、それは仕方ない。すべての選手が(同じリンク内での門下生同士の)頻繁に起こる、
非常にレベルの高い競争に耐えられるわけではないからね」
タリンで、クドリャフツェフはペアの最終グループに大いに関心を持って観戦していた。そして、私が求めるとユウコ・カワグチ&アレクサンドル・スミルノフの滑りの感想を聞かせてくれた。
「二人の滑りはとてもよかったですよ。この二人には数年前から関心を持っていました。
二人の滑りにはいつも『ストーリー』があります。私の個人的な見解ですが、非常に正しいコーチの考えがよくわかります。カワグチ&スミルノフが氷の上でやっていることを見るのは面白いです。
二人の間には長いこと失敗、不安定さ(補足:成績の浮き沈み)、チームワークの悪さ(補足:二人の演技がかみ合っていないこと)がありましたが、それがあっても、このペアはいつも他のペアと違い、光る何かがありました。数々のエレメンツ、一枚の絵のような一貫したプログラム、エレメンツの入り方。
タリンでの二人の滑り――私が思っている、ペアスケートのあるべき姿――-は完成に達していました。
エレメンツがクリーンに決まったとか、シンクロ性が素晴らしかったとかそういうものではありません。
大切なのは、そのプログラムが最後の瞬間まで、観客の注意を惹きつけていたことです。
もしカワグチ&スミルノフがドイツペアより難度の高いエレメンツをやっていたら、この欧州選手権で
カワグチ&スミルノフは明らかに無敵だったと思いますよ」

私たちの会話のこの瞬間、電光掲示板にサフチェンコ&ゾルコヴィーの点数が出た。
彼らのフリーの点数はカワグチ&スミルノフより1.63点下回っていた。過去三回の欧州選手権で余裕の優勝を飾ったドイツペアはこの試合で2位だった。
クドリャフツェフは更に付け加えた。「これは何よりタマラの勝利です。彼女がこのペア(ユウコ&サーシャ)に四年間でやってきたことは、世界のどのコーチもできないでしょう」
そのとき私はかなり昔にモスクヴィナと会って質問したときのことを思い出した。「あなたはカワグチ&スミルノフがいつかオリンピックの金メダルを競って戦えるようになると思っていますか?」 
モスクヴィナコーチの答えはこうだった。「思っていますよ」


******


3週間後の2010年2月15日、バンクーバー五輪のペア競技において、わが国は46年ぶりにメダルなしという結果に終わった。カワグチ&スミルノフはロシアのペア選手の中で最高位だったが、4位だった。
教え子二人の演技の後、モスクヴィナの口から自然に漏れたのは、「これは、完全なる失敗」だった。
1964年からの過去12回の五輪でソヴィエト、ロシアのペア選手はただ単に表彰台に上ったのではなく、金メダルをとってきた。そのうちの2度の功労者はモスクヴィンで、4度はモスクヴィナだった。

恐らく、(ロシアでは)誰の頭にもロシアが五輪でペアのカテゴリーで負けるということは念頭になかっただろう。モスクヴィナの数多くの成功から、ファンはモスクヴィナとモスクヴィナの門下生には不可能はないと思い込むようになっていた。とはいえ、ペアにおけるロシア敗北の予兆というものはあった。
2002年のソルトレイクシティ五輪でベレズナヤ&シハルリドゼが優勝すると信じていたのは最も頑固な、楽天的な人たちだけだった。奇跡でも起きなければこの二人が勝つことはないとわかっていた。
だが、この二人が優勝した直後、振って沸いた喜びは、強固な確信にとってかわった。「我々(ロシア)はまた、一番になった。そしてそれは永遠に続くのだ」

※長くなったので、5回分を2回にわけました。あと1回続きます

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